【 押山の白山信仰 】 以前にも紹介しましたが、押山の大日堂には奇妙な仏さまがおられます。 頭は菩薩で胴は如来、くだいて言えば頭は観音さまで胴はお釈迦さまといった 奇妙なお姿で江戸時代のお生まれ。 仏像専門家の知恵も借りて調べたところ、本地仏(ほんじぶつ)という特殊部隊 だそうで、白山信仰の産物ではないかとのこと。 実は江戸時代、白山神社の神様の正体(本地)は十一面観音とされていました。 ええっ? でも、押山は昔から熊野神社で白山神社は聞いたことがありません。 山の中で石神を一体見かけたくらい。 だとすると、この像は、ひょっとして他所からおいでになったものでしょうか? (廃仏毀釈を逃れて・・・とか) ところがその後、押山熊野神社の境内にあるこの石神が目に留まりました。 洲原大神とあります。 調べてみると、これは美濃市の洲原神社の神様らしいとわかりました。 さらに洲原神社は、郡上の長滝白山神社という白山信仰では全国でも中心的 な神社の前宮だとのこと。 おお、確かにこれは、白山信仰の痕跡です。 これらの話を古橋懐古館の西海先生にしたところ、 ①白山信仰は短期集中的に流行した。 ②富士・立山・白山はバラバラではなく一体のものとして信仰された。 という貴重な教示をいただきました。 なるほど、押山の寺畑のこの石碑はズバリ②にハマります。 富士浅間立山権現白山権現 ともかく、これも白山信仰の痕跡。 さて、以上の情報をふまえて、美濃市の洲原神社に立ち寄ってみました。 これがなかなか立派。 面白いことに、一般的な交通安全や健康などのお守りはあまり無く、田畑に 蒔く厄除けの土や恵比寿大黒の絵が目立ちました。 農耕と蚕の神様だとのことです。 神社の方からは、昔は講による活動が盛んで、愛知県方面にも盛んに進出したこと、 長久手の洲原公園というのも神社がらみであることなどの話が聞けました。 また西海先生から伺った話とも一致しました。 以上色々わかったのですが、一方で課題も増え、 ①押山の熊野神社の洲原大神や寺畑の石碑の建立年代を確認(拓本を取る) ②洲原神社の信仰がいつどのように広がって、当地に至ったか? ③信仰が広まる過程で、白山神社と洲原神社の棲み分けがあったか? などが知りたいところです。 Mさん投稿ありがとうございました